1. ギブ・ミー・フード・プロジェクト
2. 陵駕紙芝居「パパがくれた招待」
1. ギブ・ミー・フード・プロジェクト
勝間氏のアーティストとしてのキャリアは大阪の路上で始まりました。田舎での生活に嫌気が差した彼は、故郷の高知県片島から家出をします。当時まだ十代の彼は、大阪の路上で生活し始めました。飯を食うお金すらなかった彼は、どうやったらお金が貰えて生き延びる事が出来るのかを真剣に考えた末、彼はペンとノートブックを手に入れて、通行人の似顔絵を書き始めました。当初、彼のドローイングはひどいものだったのですが、通行人は彼のおかしなキャラクターに引かれ、彼の作品を買ったり、食事をあげたりしはじめます。次第に彼もドローイングをするのが楽しくなり、その時からプロの画家を志し始めます。これがプロの画家としての勝間陵駕の誕生にまつわる逸話です。
このプロジェクトでは、勝間氏がギャラリーに住み、訪問者の似顔絵を描きます。もしも訪問者が勝間氏のドローイングを気に入ったのなら、彼らはドローイングと交換にアーティストに食べ物をあげなければなりません。また、例えば勝間氏がシャンプーを切らしているのなら、アーティストはドローイングと交換にシャンプーを要求するでしょう。展示期間中、勝間氏はお店で何かを買ったりするなどの個人的な出費を一切してはいけません。このプロジェクトでは、勝間氏は彼のドローイングのテクニックと物乞いのテクニックだけで暮らしていきます。
2. 陵駕紙芝居「パパがくれた招待」
日本人の原風景には、街角にて紙芝居を見ている風景があったかと思います。大戦後、紙芝居屋さんの数は5万人までに膨れ上がり、全盛期には「黄金バット」などの伝説的ヒーローを生み出します。しかし、テレビの普及と共に、紙芝居文化はしだいに消滅していきました。しかし、紙芝居の伝統、すなわちナレーションとモンタージュという技法はジャパニメーションの発明とも無関係ではありません。紙芝居の伝統を考える事は、情報とハイパーリアリティーのインフレーションが起こっている現在の日本において重要だと思われます。
この作品は、勝間氏のオリジナルのお話と絵から完成する紙芝居です。このストーリーは元々、彼が大阪の路上にいた時に作られたものです。オープニングでは、勝間氏のナレーションにて紙芝居の上演が予定されております。ぜひオープニングにいらして、紙芝居の持つ独特の臨場感をお楽しみ下さい。
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