V. まとめ

 

                            a. 国民国家のオルタナティブを探す必要性

 

ソ連の崩壊は、NATOの存在意義および目的を変更し、また、この意義および目的の変更は、結果NATO軍によるセルビア空爆へと結びついた。空爆の過程において、アメリカおよびNATOは国連の決議を回避したが、この国連決議の無視はそれ以来常套化した。この国連決議の無視はアメリカのユニラテラリズムを生み出し、そしてそれ以来、国連主導の国際協調主義(インターナショナリズム)の保持は非常に困難になった。

 

このNATOのケースは重要であるが、特にソ連の崩壊後、「ニュー・リージョナリズム(新地域主義)」と呼ばれるものが、国民国家の代替として立ち現れた。まず初めに、古い地域主義は基本的に政府と関係しており、特に国家と地方の関係の階層にどうやって新しい層を挿入するかが問題であった。しかしそれとは対照的に、ニュー・リージョナリズムは支配そのものに関係している。すなわち、理想と目的を確立し、それらを達成させる為に政策を掲げるのである。NAFTAのような世界通商協定は、国ごとの基本原理における経済競争の縮小を実証し、世界的地域という基本原理における競争を増大させた。APECASEANEUおよびMERCOSURなどの貿易協定は、ニュー・リージョナリズムの例である。[1]

 

例えば、APEC(アジア・太平洋経済協力閣僚会議)は、地域における経済統合および地球規模での自由貿易の促進に献身的な20の国および1つの管理上の地域から構成されている。APECはオーストラリア政府の促進により、1989年に設立された。またこのメンバーはオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、中国、香港、インドネシア、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィリピン、シンガポール、韓国、台湾、タイおよびアメリカを含んでいる。さらに1998年には、ペルー、ロシアおよびベトナムが組織に加わった。

 

これらメンバーは会議において、インフラ開発のための融資および開発、関税および他の貿易障壁の縮小、グローバル自由貿易の促進、さらに地域における安全保障のような問題について議論している。1994年には、開発途上の経済状態にある国が2020年までに続くことに合意する一方で、発達した経済を持つAPECのメンバーである先進国は、2010年までに貿易障壁を除去することを誓約した。

 

1990年には、マレーシア大統領であるマハティール・ビン・モハマドが、APECの代案としてEAEC(東アジア経済協力体)の創造を示唆した。EAECは基本的にアジアの組織であり、会員からAPECに所属している国であるオーストラリア、カナダ、ニュージーランドおよびアメリカを除外したものであった。この為、マハティールは、199311月にビル・クリントン主催によって開かれたAPECシアトル首脳会議に参加しないことを決めたが、このサミットの後、APECはアメリカ主導の組織となった。[2]

 

APECのみならず、欧州連合およびNATOも拡大している。アメリカはイラク戦争後、NATOが現地にて行なう役割を望ましいものであると公言した。イラクの戦争の後、世界のパワ−バランスは変化したが、この変化はスペインにて行われた選挙にさえ影響を及ぼした。

 

b. 民主主義における意思決定の方法を打開する必要性

 

311日のマドリッドで200人以上の死者を出したテロ攻撃の後、ホセ・マリア・アスナルの率いる政党によるアメリカ支持の保守的な政府は一掃された。また、スペイン社会労働党によって率いられた新しい左翼政権が成立した。首相に指名されたホセ・ルイ・ロドリゲス・サパテロは、もし軍事力が国連に速やかに移行されなければ、スペインの軍隊をイラクから撤退させると宣言した。マドリッドの外交政策をアメリカではなく欧州連合へと変更しようとする彼の宣言は、「新しいヨーロッパ」を支持する人達を喜ばせた。[3]

 

欧州連合による欧州憲法成立における行き詰まりに関するほとんどの非難は、彼らの票に加重する投票システムを放棄することを拒絶し続けたスペイン、およびポーランドに山ほど浴びせられた。しかしながら、サパテロに近い情報筋は、次期政府は200312月に否定されたEU初の憲法を受理する準備ができていると伝えている。ポーランドの中道左派政府はスペインの例に従い、他のほとんどすべての国家によって望まれている「二重多数決制」支持へと、反対の立場から移行した。憲法の草案では、そのような過半数として認められるしきい値が、全ての国の多数決、および総人口の六割を占める賛成があれば法案はすべて採用される、というものである。さらに新しい妥協案では、この数値を55パーセントまで下ろす事になり、これがドイツ、フランスおよび英国が結託して他の22の参加国によって同意された法律を拒否する力を持つのを防ぐことになった。これは大ヨーロッパを作る際において、EUにとって大きな一歩となった。

 

しかしながら、ここにおいて重要な点は、これらの決定およびEUの統一は、アメリカと競争するための戦略として見る事ができる点である。さらにこのニュー・リージョナリズムは、資本の力によって率いられたグローバル化の結果立ち現われたものである。したがって、ニュー・リージョナリズムは、グローバル資本主義の問題を解決することができないのである。

 

c. グローバル・キャピタルの問題を解く必要性オルタナティブとしてのニュー・アソシエーション・ムーブメント

 

2000年の夏、資本主義、国民、国家あるいはそれらの融合体の廃止を目指したナム(NAM , New Association Movement)が、日本で立ち上げられた。NAMは資本主義および国民国家に対し、有効で非暴力的な抵抗活動を行なった個人の集合体であった。NAMは卓越した哲学者でありコロンビア大学にて客員教授を務める柄谷行人によって開始されたが、彼は資本主義および国民国家に関する提案された高度な批判理論を展開し、さらにアクティビズムの実践を行なった。NAMの会員は、日本全国および世界の一部において、一時期約600人に達した。

 

NAMは、農業、建築、美術、コンピューター、協同教育、環境、ジェンダーおよびセクシュアリティ研究、労働、法律、LETS(Local Exchange Trading System、地域通貨)、マイノリティ問題、第三世界問題、理論および福祉など、様々な興味における分野を持っていた。[4]NAMにおける主なプロジェクトは、インターネットによって運営されるグローバルなLETSを設立するために形成された「Qプロジェクト」である。

 

多重地域通貨ネットワークの生成は、剰余の生成あるいは通貨の物神化のない、交換に基づいた非資本主義市場の開発に向けての最初のステップであると思われた。国民国家によって発行される単一通貨と異なり、「Q」と呼ばれる貨幣は多数的であり雑多なものであった。つまり個々のメンバーは、通貨を発行する権利を持っているのである。その結果、各個人は国民国家の主権を脱構築し、通貨を発行し始めるのである。 

 

NAMの官僚的な定着を避けるための解決策として、柄谷氏はNAM行政官の選出方法をくじ引きとした。しかしながら、柄谷氏のくじ引きのアイディアは、貨幣がどう管理されるのかに対し、有効な答えを示すことができなかった。さらに、彼の当初の考えであった国家の内部および外部を脱構築するという考えは、NAMの内部であるか、またはNAMの外部であるか、という新しい内外問題の層を生み出してしまった。

 

その結果、組織の設立から2年後、NAMは消滅した。しかしながら、NAMは国民国家の脱構築として創設され、後期資本主義のオルタナティブを提案した最重要ムーブメントの一つであった。

 

d. マスメディアによる悪影響を排除する必要性

 

事実、メディアの影響力をコントロールする有効な方法は見つかっていない。アメリカ国内の現行の法律の下では、ルーダ・フィン社の様なPR会社を有効に罰することはできない。しかしながら、もし自国の外部で生活している人を裁くことができるというベルギーの新しい法廷制度が主流になっていけば、それはこういった実在するメディア・コントロールの残忍な活動を止める事ができるかもしれない。もしスイスとカナダの様なその導入を考えている他の国々がこのベルギーのシステムに従うとなると、裁判そのものの全体の構造は変革され、またそれは、これらメディアの意志決定プロセスを変えていく事になるであろう。しかしメディアの問題の主要な部分は、モラルによってのみ解決することができる。そしてこのモラル・ハザードの問題は、世界的に最も大きな問題のうちの一つであり続けている。

 

結論として、民主主義の現状、国民国家および資本主義の代替を見つけることは非常に困難である。民主主義の代替を推し進めようとした例えばカール・シュミットのような者達は、残酷なファシズムを生み出した。また資本主義および国民国家を脱構築しようとした柄谷行人のような者達も、また失敗した。しかしながら私達は、これらの問題の解決策を見つける必要に迫られている。そうでなければ、私達は、ナショナリズムの問題や、国民国家間の戦争の問題から自由になれないのである。

 

 

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[1] Wallis, Allan. "The New Regionalism"

[2] Mohamad, Mahathir Bin. "6th Nikkei Shimbun International Conference on 'The Future of Asia'" Tokyo, June 9, 2000

[3] Harding,Gareth. "Analysis: EU blueprint deadlock broken" United Press International March 19, 2004