映画『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』
日本プレミア上映後トーク①

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上映後トーク No.1 【ゲスト:畠山直哉】 / 2016.10.17

上映後トーク No.2 【ゲスト:國分功一郎】 / 2016.10.24

上映後トーク No.3 【ゲスト:森村泰昌】 / 2016.10.30

日本プレミア上映後トーク②【ゲスト:宇治野宗輝、稲葉俊郎、鶴岡真弓】

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映画「Soul Odyssey - ユーラシアを探して」上映後トーク No.1

ゲスト:畠山直哉 / 2016年10月17日 @ 渋谷アップリンク

トークゲストプロフィール

畠山直哉Naoya HATAKEYAMA

写真家。1958年岩手県陸前高田市生まれ。筑波大学大学院修了後、自然・都市・写真のかかわり合いに主眼をおいた作品を制作し、1997年には第22回木村伊兵衛写真賞を受賞。「3.11」以降は、故郷の風景を扱った作品の発表や、震災関連の発言を積極的におこなっており、2012年にはヴェニス・ビエンナーレ国際建築展の日本館展示に参加、館はその年の金獅子賞を受賞。作品はTATE(ロンドン)、MoMA(ニューヨーク)、東京国立近代美術館をはじめとする、主要都市の美術館に収蔵されている。

ボイスとパイクのユーラシア

渡辺みなさま今日はお集りくださいまして、ありがとうございます。今日は日本で初めてのプレミア上映ということもあって緊張しています。上映後のトークに畠山直哉さんをお招きしました。

畠山こんばんは。

渡辺私と畠山さんの接点は大きく二つあるんです。
 一つには、2010年、私が29歳のときに、アメリカから帰ってきて東京都の仕事をしていた時に畠山さんと出会って、素晴らしい作家の方だなと思いました。2011年、その直後に震災がありました。ご存知の方も多いかと思いますが、畠山さんは陸前高田の出身でして。一緒に震災チャリティーの展示をスイスのバーゼルでやりました。
 それともう一つ、私は「ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイクのユーラシア」をテーマに研究しています。ヨーゼフ・ボイスが「7000本の樫の木」という作品を1982年から87年にドイツで製作した際、資金難に陥りました。そのとき西武グループがスポンサーとなり、ボイスを日本に招いて、いろいろなイベントをしたんです。そのときに素晴らしいドキュメント映像を撮影していた、映像部隊の隊長を務めていたのが畠山直哉さんです。今から32年前のことです。

畠山隊長といってもですね、錚々たるスタッフ達で、僕は学校を出て初めて何かを作るという感じだったんですよね。それで今回の作品も、そのときの自分を思い出しながら「渡辺さん、最初の作品なんだなー、素晴らしいなあ」と思いながら観てました。いろいろ思い出しました、84年のこと。

渡辺そうでしたか。あのドキュメントは畠山さんにとって最初の自分の作品という意識はあったんでしょうか。

畠山僕の上司が変わった人だったんですね。その人が、当時個展はやったものの写真でどう食べていったらいいかわからなかった僕に「君、やってみたら?」という風に、何を思ったか知らないですけど、声をかけてくれた。
 優秀な撮影スタッフが多かったです。カメラ、音響、ビデオエンジニア—草月ホールのときはカメラが3、4台ありました。僕はものすごく現場慣れしている人たちに時々話しかけるくらいしかできなかった。もちろんヨーゼフ・ボイス自身にズカズカと近寄っていって、いろいろ話をしたりとかはとてもできなかったです。でも肩書はディレクターだったので、作品のまとめは最後まで責任をもってやりましたけどね。

渡辺私はほとんど編集されていないバージョンのヨーゼフ・ボイスのドキュメントをかなり時間をかけて見ました。最後のほうで、畠山さんがボイスに「レッツ・フォト、レッツ・フォト!」といっているシーンがあって印象的でした。

畠山あれは、頼まれたんですよ(笑)。最後みんなで記念写真をということで、「撮ってよ」って言われてね。

渡辺はい(笑)。ちなみに畠山さんの新作展「まっぷたつの風景」が11月3日から仙台メディアテークで開催されるので、ぜひご覧になっていただきたいです。
 畠山さんも先ほどおっしゃったように、私は今回、本当に初めて作品を作ったんですね。私は自分で作品を作るという表現行為を一度もしたことがありませんでした。
 ちなみに私はいままで、キュレーターとして、展示を作る仕事をしてきました。いまワタリウム美術館でナムジュン・パイクの回顧展をやっています。今回の上映会もちょうどその展示の、後半展のオープニングに合わせて企画したのですが、展示の中に、映画の中にも登場する「ユーラシアの道」というナムジュン・パイクの作品があります。また「ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイク」という部屋を一つ用意しています。
 今回、映画を見ていただいた方の中で、ボイスとパイクの名前を初めて知ったという方もおそらく何人かいらっしゃると思うんですが、この映画を見た後に展示を見ていただくと理解が一層深まるはずですし、もしくは、展示を見た後に映画を見ていただいたらよいな、と思っています。

作品との出会い

渡辺キュレーターというのはどちらかというとアーティストになれなかった人がやる仕事、みたいなこともあると思うんですね。なんか苦笑いしている人もいますが(笑)。
 恥ずかしい話ですが、私は17歳のときに「結構俺は芸術的才能があるのではないか?!」と思っちゃったことがあるんです。みんな俺のことを理解できないはずだと。その時、詩を書いて、それを自分で母音循環詩と名付けました。「あいうえお」が円環状に並んでいて、例えば「あ」から「お」に行ったり「あ」から「う」行ったりとか、どこにでも行けるんです。「俺はこんなすごい詩を考えた」みたいな(笑)。17歳で静岡の田舎で悶々としていて、そういう若気の至りみたいなことってあるじゃないですか。しかしその時、アルチュール・ランボーの「永遠」という詩に出会ってしまった。やっぱり本当に天才っているんだな、と思った。ちょっと表現者というのはハードルが高いんだな、というのが1回目のショックでした。
 2回目のショックが、20歳の時に見たクリス・マルケルの映画「レヴェル5」です。これを見る前までは、俺は映画を撮れるんじゃないかな!?と思っていたんですが。こんな凄い作家がいるんだったら紹介する側に回ったほうがいいなと思って、キュレーターになったという経緯があります。
 畠山さんのそういった芸術家との出会いにおけるショックとか、自分が作家になろうと思ったきっかけなどお聞かせいただけますか。

畠山僕は、ある作品に接して「凄いな」って思うのも、限られた数の人にしかできない体験だと思います。例えばランボーの詩とかクリス・マルケルのフィルムとか、そういうものを見てもポカンとしてしてるだけで、ほとんどその作品が身体の中に入ってこないということもあると思うんですね。その点あなたは、若い頃にそういうものを見て衝撃を受けたということは、すでにクリエイティブな何かが身体の中に始まっていたということなんだと思うんです。
 僕は田舎の素朴な高校生でしたから、ある時期から例えば、印象派の絵画がいいなとか、後はレオナール・フジタの甘美な線に惹かれていた、とかいう記憶がちょっとあるだけです。だからあなたみたいな、なんていうのかなあ、もうちょっと現代的で、モダニズムアートの奥深いところに触っている、そういう感覚というのは、僕は体験的にはあまり持ってないですよ。つまりけっこう軟弱な高校生だったわけですよ、あなたに比べると。あなたが最初に書いた母音の詩というのも、ひょっとしたら、いや僕は見てみたいですけれどもね。ひょっとしたら素晴らしいものなんじゃないかなと気がします、話聞いているとね。

渡辺でもダダイストが既に作ってるんですよね、20世紀初頭に。

畠山それは誰かがやってるでしょう。やってると思いますけれども、静岡の高校生が、というような驚きは映画を見ていても感じましたね。これが第1作とは、とても信じられない。他の人にとっても多分、それは信じられないんじゃないかなという気がしますよ。感心するところはいっぱいありましたね。
 例えば音楽の用い方。楽曲をただ当てるんじゃなくって、中に出てくる人たちに歌わせてますよね。それがまさにロードムービーの核で、重要なポイントを音で繋いでるという感じがしましたね。あの旋律が、何かとても空間的なものとして聞こえてきた。
 あと、ご自分で撮影されていると聞いて驚きました。何年か前からラッシュのようなものは拝見していたんですけれども、色が綺麗だし、カメラの扱いがうまいし、機材を聞いたら、ニコンの写真用の一眼レフカメラだと聞いて、それも1台きりで撮ったというから、そうか~と思って、ちょっと感心したというか、自分にがっかりしたというか、そういう気になったことが思い出されます。

伝統音楽と子守唄

渡辺ありがとうございます。音楽に関しては、パイクの影響を受けていると思います。ナムジュン・パイクは、2拍子は西洋の歩行のリズムだが、騎馬民族の音楽は3拍子だと。パイクは3拍子のリズムは馬のギャロップから来ていて、それが騎馬民族の音楽として韓国とハンガリーに残ったという説を立てたんですね。
 坂本龍一さんの先生にあたる人ですけれども、小泉文夫という民族音楽家がそういうことを言い始めた。もう少し遡っていくと、バルトークがヨーロッパとアジアの音楽の連続性ということを言っていて、その影響が小泉文夫を経由して、パイクに入った。
 この映画では、とにかくありとあらゆる場所で、出会った人たちに「伝統音楽を歌ってくれ」とか「演奏してくれ」ということを頼みました。そうすれば、何か類似が出てくるのではないか、と。もう一つには、子守唄。言語の発生の起源は子守唄だと言っている言語学者がいて。子守唄をいろんなところで拾って行ったら、何か類似する言葉だったり旋律が出てくるのではないかと。「子守唄を歌って下さい」といろんな所で頼んだんですが、結局1人しか歌ってくれませんでした。
 それが「ねんねんころり」の歌として作中に使われたものです。作中、シベリアの日本人墓地でお祈りをしていたアンドレイさんの奥さんのレナさんが、子供向けのパペットシアターで子供向けに歌っている曲らしいです。レナさんが歌ってくれたのが、アンドレイの追悼の祈りのシーンにピッタリだったので、そこに当てました。本当はもうちょっと子守唄の連続性というようなことをやりたかったんですけれども、みんな恥ずかしがって歌ってくれなかったですね(笑)。

畠山子守唄を歌うのが恥ずかしいというところがポイントじゃないですか。

渡辺あぁ、そういうことですね。素晴らしい、畠山さん。

畠山人前で、たとえば明るい空の下で歌ってくれと言うと急に羞恥心がこみ上げてくるというような性質があるのかもしれません。

渡辺非常にプライベートなところから、母と子の関係みたいなところから、言葉が生まれてきた可能性もあるというわけですね。

跳躍のある論理

畠山ところであなたの映画って、〝プロバブリィ(probably)=おそらく〟っていう言葉が非常に多く出てきますね。
 実際、あなたと会って話していても、そういう会話になることが多い。何かと何かが似ているということは、確かにものを考えるきっかけにはなると思ってるんですけれども。僕の場合、二つ、あるいは複数のものの間の類似というものが、それほど何ていうのか、冒険がないんです。あなたの場合は、これとこれが似てると感じた時に、何かこう、大きく跳躍するような感覚があるのね。これは多分、世間の会話の中でそれを頻出させると、「大丈夫かしら、この人?」というような目で見られることかもしれないんだけど(笑)。そこらへんに何かこう偉大なものを作り出す、クリエイトするための力が眠ってるというふうに僕は最近は信じています。
 つまり、わかりやすいものっていうのはどうでもよくって、一見奇妙で、何言ってるのかちょっとわからない、でも惹かれる。ある種の跳躍が生じている、そういう論理のつながり方。これが人の心に何かを刻むための大事な契機になっているという気がするんですよ。
 ありきたりの世間的な話はすぐ忘れるけれども、何年たっても覚えているのは、ある種の跳躍のある論理。一見論理に見えないような、でも多分ひょっとして、いつかこれは理解できるだろうと思わせるような何か。そういうものがたぶん、僕らの暮らしの中にある。時代を経て過去から残っているものをよく見たら、そういうものばかりなんだと思います。だから僕は最近、ちょっと首をかしげるようなことにもあえて関心を向ける態度でいます。
 今回の映画も、〝probably〟がものすごくいっぱい出てくる。例えば論文として完成させるには〝probably〟が多すぎる、そういう気がするんですけれども。でも多分、忘れられないものになっていますよ。そう思いながら観ました。

東西をつなげる

渡辺ありがとうございます。これは「Soul Odyssey」のポスターなんですが、今日は客席にデザインしてくれた相澤幸彦さんがいらしてます。

畠山これみんなアルファベットじゃない?

渡辺はい、英語版のポスターなんです。これも私の〝probably〟をかたちにしたものなんです。「ボイスとパイクのユーラシア」は、ヨーロッパとアジアを一つにするという試みでした。私もそれを「Soul Odyssey」でやりたいなと思いました。十二縁起、輪廻転生というアジアの考え方—〝Soul〟。そして〝odyssey〟—神話学者ジョーゼフ・キャンベルが考えたヨーロッパのヒーローズ・ジャーニー「英雄の旅」です。
 全ての神話や物語には同じ構造がある。旅立ちがあり、拒絶があって、そこからスペシャルワールドに入って行き、帰還する。そしてヒーローになっていく、という。これをジョーゼフ・キャンベルはジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んで発見したわけですが、それについて考えて行くうちに、ちょっと待てよと。このヒーローズ・ジャーニーはACT1、2、3と12章で構成できるんですけれども、アジアの十二縁起に考え方が非常に似ているな、と直感しました。
 そこで仮説を立てました。カレンダーというのは、メソポタミアの360日プラス5日、1年間で360日が60進法のベースになっていくわけですね。60分が1時間、昼の12時間プラス夜の12時間で1日ですよね。ギリシャ神話に、〝ヒーローズ(Heros)〟といってオリンポス12神がいます。例えばヘラクレスは、戦って死んで神様の柱、すなわちヒーローになるんですけれども。そのヒーローズ(Heros)というのが英語に取り入れられたのが〝Twelve Hours〟ですね。つまりHerosが12のHoursになった。おそらくメソポタミアのコスモロジーがインドに入った際、インド人がもともと輪廻の考え方を持っていたので、それが生老病死というインド的な時間概念へと変化したんじゃないかな、と。
 そこで私は、この二つを重ねて、ヨーロッパとアジアをユーラシアとして一致させようと思いました。オーディナリー・ワールド、すなわち通常世界から旅立つんですが、このとき仏教で言う所の「無明」という、何も見えない状態なんですね。これは細胞分裂に非常によく似ていて、ここから第2のフォーメーション、受精した状態へと進行します。受精した状態から意識が生まれて形になって、生老病死、つまり死までいく。それに第1章と8章と12章で、拡張神話で前世と後世と来世をつなげるというコンセプトで作らせていただきました。
 これを相澤大先生がポスターとしてデザインして下さったという。これ一応説明したかったんですよね(笑)。

再生される神話

渡辺畠山さん、せっかくなので映画で気になったところがあれば教えてください。私が気になったのは、畠山さんが笑っていたところです。シベリアでタタール人のディマさんという元軍人の人に、「クリミアに帰ったタタール人を知っているか」と私が尋ねると、「知ってるけれどもみんなだらしない、与えられた環境で頑張れ」と返してきた。そこで畠山さん大笑いしてました。なんであそこで笑ったのかなと。

畠山外国に行くとよく感じるんですけれども、現地の人が言うことが100%真実かというと、そうでもない。ある人はこう言い、ある人は全く別のことを言う、ということがよくあるんですね。例えば観光で行って、誰かを捕まえて「過去にこういうことがあったそうですね、それをどう思いますか」と聞いて、その人が何か非常に具体的なことを言ったとする。でもそれを鵜呑みにしてはいけないと思っています。その人の隣の人は違うことを言う可能性がある。
 また、歴史や神話にしても、ある時間の長さの中で少しずつ変化をする可能性がある。いま神話である、伝説である、歴史である、と思っているものも、例えば昔の人たちが同じように感じていたかと言うと、全くそういうことはない。歌だって変化していたかもしれないし、話の骨格そのものが変わっている可能性もある。そのことをあの人のセリフがちょっと思い出させてくれたんですね。「あいつらはみんなだらしない」とかですね。あそこはとてもリアリティがありましたので、笑ってしまいました。

渡辺いま畠山さんがおっしゃってるのは、タタール人の生活が神話化していて、ディマさんがその神話に風穴を開けてくれているということですか?

畠山いや、歴史はあなたの中でいま形作られているわけですよね。神話が変わらずに、例えば数千年とか数百年という単位で存在していると僕らは素直に信じてしまっている。けれども、僕らの生きている肉体のことを考えたら、それは必ず再生されるかたちで僕らの中で理解されているわけです。
 さっきの話でいうと、ランボーに感動したとか、マルケルに感動したとかいうけれども、何かが身体に入ってきて、それをわずかな時間差で再生する。その瞬間に腑に落ちるかどうかだと思うんですよね。僕が信じている歴史や神話というのも、そういうものだと思っています。それはある人にとって素直に感じられているから、まるで揺るぎのない歴史や神話のように感じられているでしょうけども。各地域にいる人たちが、それぞれの言語で何かを語っている。それを短時間のうちにだーっと見ると、これはひょっとしたらそこにあるものというより、生きてる人間がその都度その都度再生している何かなんじゃないかと、思うに至るわけですよ。
 あなたの映画の最後で「ひとつ」という言葉が出てくるじゃない。それもそういう意味だと思ってるんですね、つまり我々は自分の身体の外に歴史や神話があると思っているけれども、一回限りの生を営む時間において、歴史や神話があなたの中に生じているわけですよね。そのことをまさに描いているロードムービーだなと、僕は感じたんです。

渡辺ありがとうございます。いまその話を聞いて、畠山さんが昔おっしゃってくださった言葉を思い出しました。2011年の6月のスイスのバーゼルでチャリティー展をしまして、その発表会を東京でしました。その時アーティストの大巻伸嗣さんと畠山直哉さんと私とで、実際にこういう活動してこれだけ寄付金が集まったという話をした。その後に1人の若い学生さんから「あなたはこのチャリティーを人のためにしたんですか、それとも、あなた自身のためにしたんですか」という質問がありました。それでお2人は結構時間をかけて話をされたんですが、マイクが1本しかなくて、まず大巻さんがそれを取って「僕は僕のためにしました」と言われた。そして畠山さんは「違うでしょう、僕の中にいる何者かのために、じゃないですか」という言い方をされた。私という、とても分かりやすい主体ではなくて、何か立ち現れて来るようなもの。そういうところにおいてしか、自己と他者の存在を担保できないような。私はいつも、芸術は魂を扱うものだという言い方を簡単にしてしまうんですが。「わたし」という顕在意識だけではなくて、それを成立させている無意識がある。私は「わたし」は他者との無意識のつながりによって成立していると考えています。
 畠山さんがいまおっしゃって下さった神話というものが、いまを生きる私の身体を通っていく中で、それが神話として、渡辺神話として、再構成されている。それこそ私の解釈ですけれども、私の中にいる何者か、歴史の連続性、そういったものが私を通じて出てきているのかなと思いました。

畠山そこで、私は私、みたいなものの言い方に、滑り落ちていく手前で踏みとどまるということが大事なんですよね。

渡辺そうですね。

天に偽りなし

渡辺せっかくなので、私はこの後カフェで皆さんとお話ししたいのですが、ここでどうしても一人、聞きたいという人がいましたら、マイクをお渡しします。
どなたか質問のある方いらっしゃいますか。

会場から)単行本のフリーの編集者なんですが、わたしが知っていたのはナムジュン・パイクだけ。今日の映画はどうなるんだろう、観念的なものを見せられるのかな、と思っていたら、画が綺麗でした。また、最初ちりばめられたものが、最後のところでピースが全部はまってきて、すごい快感がありました。なるほどと、すごく説得力があって。これでユーラシア人になれる、というのが良かったです。先行作品が何点かあるとおっしゃっていたんですが、羽衣神話だったり、白鳥に委託される何かだったりは、先行のものがあるのか、渡辺さんが提示したものなのか、そのあたりをちょっと教えていただきたい。

渡辺わかりました。羽衣神話に関しては、先行研究が実はたくさんあります。ただ、それらは部分的なんです。沖縄の白鳥伝説が日本のものと似ているとか、シベリアやケルトとつないで話す人もわずかにはいるんです。ただ、本格的な研究ができている人がいるとは私は思わないですね。どちらかというと立証が難しいジャンルなので、むしろ芸術のほうが扱いやすい。私は世阿弥の「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」といった表現に惹かれるんですよ。それが自分の実感としてあるので、だからこそ羽衣伝説をやはり作品化したくて。私にとっての先生はボイスとパイクですね。
 あと、羽衣伝説に関しての先行作品は、私が知ってる限りでは、戦後では三島由紀夫の「豊穣の海」の最終章「天人五衰」と、手塚治虫「火の鳥」羽衣編ですね。ちなみに手塚治虫の「火の鳥」羽衣編は71年に書かれているので、おそらく輪廻を想定した小説「豊穣の海」を書いてから自決した三島事件と関係するだろうと考えています。それを私が受け継いだということです。
 ちなみに私は「火の鳥」から凄く影響を受けて、まず12章という章立てを考えて、そこから十二縁起とヒーローズ・ジャーニーにつなげていきました。
 今日は長い時間、ありがとうございました。

テープ起こし:河本順子 / 編集:大山景子 / 写真:國分蘭

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映画『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』上映後トーク No.2

ゲスト:國分功一郎 / 2016年10月24日 @ 渋谷アップリンク

トークゲストプロフィール

國分功一郎Koichiro KOKUBUN

高崎経済大学経済学部准教授。 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専攻は哲学。著書に『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『暇と退屈の倫理学 増補新版』(大田出版)、『スピノザの方法』(みすず書房)、訳書に『カントの批判哲学』(ドゥルーズ著、筑摩書房)などがある。

東西の連続性

國分本日は渡辺真也さんの映画「Soul Odyssey」にお越しいただきましてありがとうございます。私は渡辺さんの友人で國分功一郎と申します。大学で哲学を教えています。渡辺さんとはたしかTwitterか何かで5年程前に知り合ったのですが、初めて会った矢先に「お話しする内容を記録に残したいので、Ustreamしましょう」と申し出られたのを覚えています(笑)。

渡辺会って15分後にUstreamを始めて、3時間くらいお話ししましたね。

國分あの時は「追悼と供養はどう違うか?」とか、いろんな話しをしたんですよね。
 それからある日、突然「映画を作る」と言い出されて、それを聞いた時はとても驚きました。渡辺さんがベルリンでユーラシアについて博論を書いていることも知っていましたし、「クラウドファンディングでお金を集めて作るんだ!」と聞いて「それはお金を出さなきゃ國分功一郎、男が廃るよ」と思いまして協力しました(笑)。そしたらアソシエイト・プロデューサーに就けて下さいまして、大変ありがとうございました。

渡辺こちらこそありがとうございました。本当に助かりました。

國分あらためて映画を拝見しまして、すごくおもしろかったですね。全体で108分でしたか、ずっと観入ってしまいました。まず何と言っても皆さんお気付きかと思いますが、渡辺さんの能力はですね、この類い稀なる接続能力(笑)。「えー!?それとそれ?」ということを繋げて思索されている。この人と会っていると2時間位ずっとそういう話しをしているんですよ。「これとこれが関係あると思うんです。それで國分さん最近僕考えたんですけれども」など延々と(笑)。
 僕の教える大学に来ていただいたこともあるんですが、その時もずっと90分そういう話しをされていました。もちろんたまにその中には「どうかなぁ?」というのもあるんですけれども(笑)。
 今日映画を拝見しておもしろいなと感じた箇所は幾つもありますが、取り上げてお話しすると、まずジョルジュ・デュメジルのことです。デュメジルの東西の神話の繋がりの話がありました。あれは相当可能性が高いと思いましたね。それから吃驚したのが「テングリ」について「テングリ」は概念と言っていいんですか?神か?概念か?

渡辺概念は「テングリズム」。「テングリ」とは「天の神様」のことですね。

國分音が明らかにそうですね。「ゼウス」「デウス」「トール」そして東に行けば「天(テン)」になると。

渡辺「天(ティエン)」ですね。

國分これは解説が欲しいんですけれども、こういう研究があるわけではないということですね?

渡辺例えば、ミルチャ・エリアーデの話をすると、エリアーデは一番古い神は地母神だとしているんです。大地とは豊穣の神であって、それが女性神になったんだと。地が女性神であるから、当然、天は天空神であり男性神になったのだ、そこから信仰の一番古い形態が始まったという言い方をしています。ただそれも神話学の権威が言っているということだけで、ほとんど証明不可能なことなので、聞いた人がそれで納得出来るかどうか、という話になるかと思います。

國分言語学の側面から考えると、言語学は相当科学的と言ってよいような、言葉の類似性について法則性を見出すためのメソッドを持っているわけですけれども、それを使ったとしてもそれにも限界がありますからね。

渡辺ありますね。

國分その点で「テングリズム」の話は非常に面白いなと思いました。もしかしたら渡辺さんの接続能力を眉唾だと思われる方もいるかもしれませんが、僕は哲学をしていてその方法には何か通じるものを感じます。
 皆さんが哲学にどのようなイメージをお持ちか分かりませんけど、哲学って「西洋哲学」という言葉があるように、西洋の権化というイメージを持たれていたりもするかと思うんですよね。実際、哲学は西洋と呼ばれるものの核を作ったとする見解もありますし。哲学をしていると、当然どうしたってギリシャにたどり着きます。起源ですからね。特にこの数年、僕はギリシャ語も勉強しているんですけれど、ギリシャ語を勉強していると、もう東洋とか西洋とかの枠組みで捉えて考えるのは嘘だな、とすぐ分かる。

渡辺分かりますね。

國分僕がいたフランスの、研究書などでない、何てことはない普通のギリシャ語の教科書の中にもそれが見てとれます。例えばバクトリア王国というのがインドの近くにありました。紀元前2世紀ぐらいですかね、そこにはギリシャ人がいて、仏教があったわけですね。教科書には「バクトリアではブッダはアポロンのイメージで捉えられていた。そしてそのイメージは日本まで通じている」と書いてある。だからギリシャ語を勉強したり、ギリシャ哲学を勉強したり、ギリシャ文明を勉強している人は、もう西洋・東洋と捉えるのは嘘で、一つに繋がっているということが感覚的に分かっているようです。
 僕のギリシャ語の先生がおっしゃっていて「なるほどな」と思った事があって。「アポロン」という神がいますよね。ギリシャ語で正確に発音すると「アポッロー」と「ポ」と「ロ」の間に撥ねが入るのですが、ギリシャ語の先生から言わせると「これはギリシャ語ではない、ギリシャ語の単語としておかしい」と。どこかから来た名前でしょうね。ギリシャといっても皆さんご存知の通り、ギリシャの神などぐちゃぐちゃで、交わっているというのは明らかかと。なにかヨーロッパというとギリシャ・ローマに起源があって、というようなイメージを持ってしまいがちですよね。でもギリシャ自体がハイブリッドなんですよね、哲学を勉強してそこまで行くと分かるんです。実際、ギリシャ哲学はどこで始まったか、というとギリシャではありません。トルコのイオニア地方の辺りで始まっているわけで。トルコ周辺も、映画に出て来ましたがインドがすぐ近くにある。だからなんと言うか、サッと眺めると西洋・東洋と、映画の中でも最初のシーンと最後のシーンでは印象として大きくイメージが違うと感じるわけだけれども。学問的に追いかけて行っても、渡辺さんが言うようなことへは通じて行けると感じました。

渡辺今、お話しを伺っていて思い出したのが、ガンダーラ仏がギリシャ文明の影響下で成立していると頭では理解していたのですけれど、それを実感したのがミラノの博物館だったんです。そこはミラノ、つまりイタリアなので、ギリシャの影響の下に成立したローマの彫刻が見られまして。そこの博物館でのギリシャ文化の東西分派についての展示は素晴らしかった。ギリシャがあって、そこから西に行くとローマのこういう彫刻になりましたよ、というのがあって。それを一通り鑑賞していたら、ローマの彫刻を非常につまらなく感じてしまいました。こう生き生きとしていない。

國分あれは真似だからね。

渡辺真似なのと、何と言いますか、ヘーゲル的な言い方をすると、ローマは二重化した精神状態を抜け切れず、率直にベタな精神表現が出来ないんだな、と感じました。ミラノでギリシャの彫刻・ローマの彫刻・ガンダーラ仏を一緒に観た時、「これは完全に一本の線で繋がる」という実感を深めました。
 連続性を感じる言葉の話をすると、般若心経を読んでいくと、これは研究者も言っていることなんですが、ギリシャ語がけっこう登場します。般若心経こと「般若波羅蜜多心経」は「プラジューナ:パラミータ:スートラ」と言って、「プラジューナ」は「般若」で「重要」とかという意味。「パラミータ」というのは「波羅蜜多」ですけれど英語で「パラメーター」なんですよね。解説しますと、パラメーターを使って如何に心理に近づいて行くのか、というのが般若心経の教えです。これはプラトニズムの影響が強いと私は考えていて、ギリシャの影響というのがアレキサンダー大王が北インドまで行き、ギリシャ系の王朝を作って、その末裔が仏教を信仰しはじめて仏像を作り始めるといった経緯があって。ミラノに旅行に行き博物館に行って、それまで文献学などで読んで来たことが繋がって、実感出来るというのはありましたね。

体感する歴史

國分今日の映画でもシルクロードを走っていて、頭ではわかっていたけれど距離・スケール・状況を体験、体感し、感心しました。シルクロードって僕らも知っているし、子供の頃NHKスペシャルの「シルクロード」とか観ていましたけれども。なんて言うんだろう、知っている渡辺さんがこういう景色でこのような人達との出会いがあって、と映画に収めたものを観ることで、スケールというものが存分に受けて取れ、感じが伝わってくるっていうか、とてもおもしろかった。

渡辺そこには非常にこだわりがありました。ベルリンから福岡まで78日で到達したんですけれど、移動手段は基本的に電車とバスという、それほどは馬の移動スピードと変わらないメソッドを使って。だいたい1日移動して1日泊まって、2日移動して2日泊まって、というくらいのペースで研究をしながら移動して行きました。古代人が馬に乗り始めた紀元前1000年頃の人間が移動したのとほぼ同じスピードで移動して、78日でユーラシア大陸を横断出来るということを自分で体験、体感出来た。シルクロードは今でこそ道路がありますが、昔はラクダで移動するのは大変だっただろうなと思いました。逆に馬は快適ですね、乗り継ぎも出来ますし。

國分馬は乗り継ぎも出来るんだ。

渡辺ええ。モンゴル帝国というものが実際どのように機能していたかというのも体感出来ました。それから駅伝制度はすごいな、と思ったりもしましたね。

國分馬の経路を使わないでシルクロードというのはなんでなの?

渡辺あれはもともと、交易路としても草原の道の方が発達していたようなのですが、中国がそれをどうやら封鎖して、そこからシルクロードが発展・発達していったという歴史があるようで。私もまだちゃんと研究していないので詳しくはわからないのですが、これは研究が膨大すぎて。

シャーマンの意識体験とは

渡辺今回、私がこの映画を作った理由は、ユーラシア研究をしていていろいろな人にこういう話しをすると「何を言っているのかわからない」とよく言われるので、とりあえず自分が何をしようとしているのかを分かってもらえるものを一つ作ろうと思ったんです。なんとなく感じてもらえるものを作りたいと思った時に、このような映画になったという。

國分「何言っているのかわからない」。しかも観たらシャーマンが出て来たりして全然もっとわからないよね(笑)。渡辺さんはシャーマンにとてもこだわっているじゃない?

渡辺はい。こだわってます。

國分それは何なのかなぁと思って。僕はある種の妄想を通じて人間が持っている脳のポテンシャルが強烈なスピードで発揮されるという状態ではなかろうかと。

渡辺そうですね、はい。

國分僕自身、科学とか非科学とかでは考えていないし、むしろ科学的に考えたいなと思うけど、渡辺さんのシャーマンに対するそれをもう少し聞きたい。

渡辺私が初めてシャーマンに出会ったのは29歳の時、沖縄です。アトミックサンシャインという展覧会をニューヨークでして、東京でして、そして沖縄に持って行った時、なぜか急に、どうしても他界した祖父と本当に話したくなったんです。わたしはおじいちゃん子だったんですが。もちろん話せないじゃないですか、死者と。それで「ちょっと待てよ、いま沖縄にいるんだ、沖縄ってユタがいるな」と。ユタは中持ち(なかもち)と言ってあの世とこの世を真ん中で持っているという意味ですが、もしかしたら中持ち(ユタ)を通じて祖父と話せるかなと思ったんです。すったもんだがあり、何とかして中持ち(ユタ)に会った。
 中持ち(ユタ)は仏壇の中から口に入って行き、祖父の口を通じて話してくれる、と。そうしたら、うちの家族しか知らないようなことをバンバン言われて本当に驚いたんです。こんなことあり得るのか?と。その時の選択肢としては、疑うか信じるかですよね。私はとりあえず信じようと思い、聞けることをたくさん聞きました。私はそれでけっこう得るものがあったんです。それがシャーマニズムとの個人的出会いです。映画にも出て来ましたが、人間は一度しか生きられないので、そういったものを私は経験してみたいな、と思いました。
 さらにもう一つ、構想力—カントの構想力について。なぜ私が例えばグラスと言った時に、あなたの頭の中のグラスとある程度一致するのか。なぜかということをちゃんと哲学的に説明しようとするとけっこう大変だということがあって。私はそれを仏教で考えていく場合、私達の無意識というのは阿頼耶識で繋がっていて、そこからボトムアップした状態に「私」という概念があり、すべて無意識の状態が魂で繋がっている、という風に唯識仏教は考えている。ユングの集合的無意識もそう考えているのですが、私は実際そうなんじゃないかなと思い始めています。多分そこは國分さんと私のけっこう違う所ですね。

國分僕は唯物論者なので、そういう風には考えないのだけれども。シャーマンなども精神分析を使って説明出来るような気がします。今日の映画の中でもシャーマンが自分から「情報が飛んで来てそれを受け取っている」と言っていたでしょ、それはそうだと思う。霊感が強いというのも結局場所に宿っているいろいろな情報を他の人よりも千倍も一万倍も十万倍も受け取っているんだと思う。そうすると勘っていうのは情報量で説明出来ると思います。だからシャーマンなどもそういう風に説明が出来ると思う。渡辺さんから何らかの仕方で、目の動きによってだったり。—もちろん本人もわからないんだよ、無意識が受け取っているから。多分そのようなことがあるんじゃないかな、と今日映画を観ながら何となく思いました。

渡辺ちなみにその話で思い出したのが、沖縄の中持ち(ユタ)は「左手の薬指の第2関節が痛い」という言い方をするんです。第2関節は2人目の子どもという意味があるそうで、自身の体の変調で家族を見ることができると言っていました。それと作中に韓国のシャーマンが出て来ましたが、その方はシャーマンというよりも四柱推命に近かったです。四柱推命の考え方は統計学に非常に近くて、四柱の4つの柱は「ねん(年)」「げつ(月)」「じ(時)」「ふん(分)」です。これは祖父祖母、父母、私と私の子孫を意味するそうで、私がどのような「ハウス」、どういう宿命に生まれているのか。未来を占うというよりは何が適性かを判断する、というのが四柱推命です。
 よく皆さん「私はこれを作るのが運命だ」といった言い方をされますが、運命とは運動するから運命で、変えられないのは宿命なんですね。宿命は変えられないけれど、運命を如何によくしていくか、というが易経の教えで、そこから四柱推命の教えが生まれていたりもします。私はそこから天文学と、先ほど話していた情報とはある程度接続ができ、さらに唯物論と唯心論は一致できると思っています。

國分まぁ、それは今度話そうか。

渡辺はい(笑)。

言語から遡る

國分話題を変えると、何語でしたっけ、あのインド・ヨーロッパ語でない言語は?

渡辺イベロ・コーカサス語です。これは非常にややこしくて。

國分ちょっとだけ説明すると、インド・ヨーロッパ語の元になったとされる言語は紀元前8000年くらいにロシアの南辺りが発祥だと言われているんですよ。それはいろいろな研究でわかっていて。そこから広がってロシア語やフランス語や英語などになっていったと言われているんですが、なかにはインド・ヨーロッパ語族でない言葉もあるんですよね、バスクとかね。そういう言語の一つということですよね。ケルトとかもおそらくは…。

渡辺それがねー、またややこしい。

國分いろいろありますものね。僕は今自分がインド・ヨーロッパ語に関わる研究をしていて…。

渡辺素晴らしい!

國分中動態という。言葉という歴史を研究しているので。いわばインド・ヨーロッパ人が占領して行ったヨーロッパに、実はぽつりぽつりとそうでないものが痕跡として残っていて、全然違う文法体系を持っていたり。

渡辺そこで私はロマンを感じたのが、バスク語とイベロ・コーカサス語のグルジア語の類似の言葉は、山に関する言葉が多いんですよ。「霧」とか「霞」とか「険しい」とか、そういう感じの。

國分どこから来たか、というのに関係しているよね。

渡辺つまりインド・ヨーロッパ語族の人達というのは、カスピ海の山が険しいため、騎馬民族であった彼らはそこを渡れず、カスピ海の東を回るルートで行ったと。逆に山間部の人間というのがある程度ディアスポラしていって、それで山に関する言葉が、ヨーロッパのバスク語などに多く残ったのではないかな、と。渡辺陰謀論です(笑)。

國分いやいや陰謀論じゃないよ。だってインド・ヨーロッパ語族の元の言葉がロシアの南にあるというのも似たような推理だよ。例えば海に関する単語が子孫の言葉で全部違うんです。ということはもともとの言葉に海はなかっただろうと想像される。
 そういう風に調べて行くと、どうも川はあり船は使っていて、金属もどうやら持っていたらしい。だが海はどうもなかったらしい、など推測される。そういうことで大体わかるんです。

渡辺わかりますね。

國分それで大体の位置を測定していくという。おとぎ話なんだか研究なんだかよくわからない、でもまぁ面白い。今の山の言葉の話は非常に面白いと思いますね。時間がもうないのであと二つだけ。
 僕が感心したのは李白の話。素晴らしいシーンで、素晴らしい景色に李白の詩がのっていました。これまで僕は李白に何の関心もなかったんですけれど、すごく李白を読みたいなという気持ちになりました。そして李白は漢民族ではなかったという点です。

渡辺非常に重要ですね。

國分中央アジア出身、キルギスの出身だったという。

渡辺スイアブという地域で、当時と今の国境は違うのでなんとも言えませんが、その地域の出身のようです。だからあの李白の詩は漢民族でない人の美的な感覚が漢詩として表れたんだ、と私は考えています。彼はマイノリティでしたから政治的にも苦労したようですし。

底層の文化をつなぐ

國分ここからある種、結論のような観点に触れていきたいのですが。渡辺さんにとって、とても大きな問題というのは国民国家の問題ですね。

渡辺そうですね、はい。

國分渡辺さんのTwitterを見ると固定されたツイートで「国民国家云々」と書いてあるんですけど、何故これが固定されているのかなぁとも思っているんだけれど。とにかく渡辺さんには国民国家というものを何とかしなければいけないという思いがある。

渡辺あります。

國分しかし渡辺さんという人は変わった人で、一番最初に会った時にお話ししていても感じましたが、ナショナリズムには肯定的と言うか、地域文化や伝統文化などには、今日の映画を観てもわかるように、すごく肯定的なわけですよね?

渡辺まぁ趣き深いものに感じています。

國分なんて言ったらいいんでしょう。ある種の近代の人造物としての国民国家というものをどうするかという…。

渡辺そうです。ですから郷土愛の様なものは美しいと思うんです。ただそれが国家的な枠組みでイデオロギー化しているのが嫌で。
 話題を戻して、とっておきの話しを一つします。私が中持ち(ユタ)に聞きたかった、祖父と話したかった最大の理由が、祖父が口癖のように言っていた「俺は中国人になりたかった」という、その理由を知りたかったんです。
 話は遡りますが、私の曽祖父は成金でダイナマイトの掘削技術を持っていた。北海道の近くまでトンネルを掘り進めて行って、最後は朝鮮人労働者たちと一緒に爆死しているんです。それで曽祖母は生活力が無くなり、3人いた子供の一番下の子を沼津の魚屋さんに売ってしまった。それを祖父は「弟があまりにも可哀相だ」と言って、小学校2年が終わる時に学校を辞めて、弟を追って漁師に入ったそうです。それもいろいろ大変だったようで、これじゃあもう2人とも駄目になっちゃうという時に赤紙が来たらしいんですね。
 その時祖父は心の底から「天皇陛下万歳。俺はようやく人間になった!」と思った、と。祖父は日本語の読み書きが出来なかったんですが、それにもかかわらず中国では通訳のような事をしていたり。
 私の幼い頃の思い出ですが、うちは実家が魚屋で漁船を持っていて、よく祖父と船に乗ったんです。そこで橋の下に中国人がいるのを見つけると祖父は中国語で話しかけて、すぐ宴会みたいになってしまうことがありました。私はそこで言葉が分からずボーッとしていると「真也、お前は先に家に帰れ」って言われ、帰宅すると祖母から「おじいちゃんはどうしたの?」って聞かれて「橋の下で中国人とビール飲んでる」と答えると「連れて帰って来て」みたいな展開がよくありました。
 武漢三鎮という中国共産党の本部があった場所で祖父が共産党軍に囲まれた時、中国人の友達が嘘をついて逃がしてくれたという経験があったらしくて、「中国人の友達は本当に友達だ」とよく言っていました。ただ何故、祖父が中国人になりたがったのかということを、大人になった29歳の渡辺真也は、祖父から直接聞いてみたかったんです。
 それで中持ち(ユタ)に「お祖父ちゃんは何故中国人になりたかったの?」って訊いたら、ユタの返答が「お祖母ちゃんに言ってはダメだよ。実は中国に好きな人がいたんだ。自分が中国人だったら一緒になれたのに、日本人だから一緒になれなかった」と。それを聞いた時、私は全身の力が抜けて「そういう理由だったのか」と。この話を姉2人にしたら、姉2人は「わかる」と言ってくれました。そして姉たちと祖父の遺品を整理していると、中から同じ女性の写真が3枚出て来たので、もしかしたらこの人かな、ということになりました。今日は特別に、スペシャルトークということでこの事を打ち明けました。

國分すごい話だねぇ。それは信じるよね。いやいやいい話でした。

國分それでは質問に移りましょう。質問のある方はどうぞ。

会場から)ありがとうございます。映画のなかで「私はユーラシア人である」という結論に達していましたね。ユーラシアの旅を通し、大陸の間までは分かるんですけど、日本は仏教にしても神道と混ざり合って独特だとかちょっと違うという話でしたし、日本が孤児みたいになってしまうのではないかと危惧されていたり。沖縄というフレーズはトークでは出て来ましたが、映画では沖縄に対する言及はなかったので。どういう意味でユーラシア人という結論に達したのかということを伺えますか?

渡辺これは非常に実存的な話になりますが、私はアメリカで酷いアジア人差別を受けたことが何度かありました。だから、アジア人であるコンプレックスが非常に強かった。同時に日本へ帰って来て、日本人がアジアの他の国に旅行に行くとき「アジアに行く」と言うことに、私は「あなたもアジア人なんだよ」と思いました。逆にヨーロッパにいるとヨーロッパ人はヨーロッパとアジアは別物だと思っている。私はこの旅を終えた時、本当に心の底から思ったことが「私はいまユーラシア人になった」ということだった。こうしか返答出来ないですね。

質問者わかりました。

國分渡辺さんにとっては差別の問題が大きかったよね。

渡辺大きかったですね。

國分この話をした時に「僕はあんまり経験ないな」って言ったら「國分さんはあっても気がつかないんじゃないですか」って言われて。

渡辺言ったかな?(笑)でもアメリカの田舎は本当キツかった。

國分僕はフランス長かったけど、あんまりなかったですね。

渡辺僕はドイツが好きなのは、ドイツで人種差別を受けたことないからですね。やっぱりドイツという国は歴史上いろいろあったので。

國分地域差もありますね。フランスはアラブ人差別がひどいし。今イギリスではポーランド人差別がありますね。

渡辺日本もしかりですよ。新大久保のヘイトスピーチなんて、酷い。

國分問題ですよね。
 まとめますと、国民国家のことはあまり掘り下げられませんでしたが、渡辺さんのおっしゃるように郷土愛は美しい。それと国民国家は違う。今日お話ししたように考えていくと文化は繋がっているし。そこらへんを幾つかのレイヤーで複合的に考えていくって重要ですね。

渡辺本日はありがとうございました。

テープ起こし:中嶋明日香 / 編集:大山景子 / 写真:織部晴崇

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映画『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』上映後トーク No.3

ゲスト:森村泰昌 / 2016年10月30日 @ 渋谷アップリンク

トークゲストプロフィール

森村泰昌Yasumasa MORIMURA

「あなた」と「わたし」の重なり合いから、美しき「わたし」を創造し続ける孤独な格闘者。1951年大阪市生まれ。大阪市在住。最新の展覧会として、2016年に大阪の国立国際美術館で開催された個展「森村泰昌:自画像の美術史—「私」と「わたし」が出会うとき」があり、その中で映画も上映された。芸術とは何か、「わたし」とは何かについて、渡辺真也に多くのヒントを与えてくれたひと。

魂の旅

渡辺森村泰昌さんです。

森村こんにちは。みなさんはこの映画をご覧になって、何を感じられたでしょうか。僕はこの映画は、渡辺さんのクリス・マルケル、ヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイクに対するラブレターだなぁ、と思いました。もしくは渡辺さんのセルフポートレート−自画像だと。
 思えば2013年秋、ちょうどこのユーラシアの旅から帰ってきたときに渡辺さんに会ってるんですよね。晴れ晴れした表情をされてましたが、こんな旅だったんだな、と。

渡辺森村さんとはかれこれ10年くらいのお付き合いになりますね。森村さんのニューヨークでの展示のお手伝いをしたりしました。
 森村泰昌さんは「わたし」とは何かということを考える、一番のきっかけをくれた作家の一人です。森村さんはよく言われてますね。「わたしとはだれか、ここにいるわたしなのか、それともわたしの中にいる何らかのわたしなのか」。
 この映画「Soul Odyssey」は東洋の〝Soul〟−魂が輪廻転生するとする仏教の十二縁起の概念と、西洋の〝Odyssey〟−英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)を一つにすること。さらに〝Europe〟と〝Asia〟を一つにした〝ユーラシアEur-Asia〟を実現することをテーマにしています。シャーマニズム、魂について森村さんはどう思われますか。

森村私は神秘主義的なところにあんまり話を持っていきたくないんですね。その話に結論を持っていってしまったら解決しちゃうというのがあって、なにか他のことば、別のやり方でできないかと思っています。

渡辺わかります。

森村人類古来の宗教やシャーマニズムの歴史、それを現代にどう向き合って語るかということは難しい問題ですね。
 そういえば、この前友人と話していて思い出したことがありました。僕は京都の美術系の大学の大学生だったんですが、ある日本画の先生がいて、その先生は合評会のとき、作品に手をかざすんです。で、「これはいい作品だ」とか。いまだったら問題になるかもしれないけど(笑)。自分がコンペティションの審査員になるでしょ、そのとき僕もやろうかなあと思いました。そうか、その手があった、と(笑)。
 そういうことを神秘主義的っていうこともできるけど、別のことばでいえないかと思っています。たとえば、絵画っていうのは触覚的なものなんですよ。絵を描くでしょ。画家が筆でイエスキリストの傷を描く。そのときのやりの先、傷の血というのは、それはもう「内部」なわけです。そこにある痛みが画家の絵筆を伝わって感じとれる。それを感じとれないような絵はだめですよ。

 実際は触れたい、そこを触れずに念力で感じとる。手をかざす、というのは一見神秘主義的でとんでもないことのように思うけれど、そこには絵画を感じとる、鑑賞する、ということに含まれる重要な何かがあるわけです。
 今日の映画もある種の事柄を、渡辺さんという現代を生きる人の感じとり方を通じて追体験させてもらったと思います。

渡辺この旅で不思議な話はけっこうあったんです。映画ではストーリーになりにくいものは省いたんですが。秦皇島(チンファンダオ)という、秦の始皇帝が不死の霊薬を手にすべく錬金術師を送った町があります。私はそこで生まれて初めて道教遺跡に行きました。日本には道教遺跡はほとんどないですよね。南側にある入り口をくぐると、右手−東側に青龍があって、左手−西側に白虎が置かれていた。そこで驚いたのが、入った瞬間に気圧が変わったんです。耳が痛くなった、バキっという感じで。そこは結界の中で、遺跡の中でも重要な場所でした。
 また、こんな体験もありました。タシケントの日本人墓地を訪ねたときのことです。私、お墓参りが好きなんですね。そこでどういうことがあったのか、死者に想いを馳せながら、お墓をきれいにしたり、自分なりの供養をした。
 そのあとに、日本人の強制労働で建てられたオペラシアター、ナヴォイ劇場を訪ねました。この建物は地震があっても倒れなかった。地震の後、ウズベキスタンの首相が、日本人が作ったから地震で倒れなかったんだ、といって。記念碑をつくってあげようということになって、記念碑が建っているんです。
 そこを撮影しようとしたら、劇場がちょうど工事に入っていた。交渉しようにも英語も通じないし、苦労しました。そこで工事現場の大柄な粗野な人が私をつきとばしたんです。その瞬間、俺きれちゃって「ふざけんな!」と。けんかみたいになったんです。
 結局上司の人が出てきて、撮影させてもらったんですが、そのあと急に歩けなくなっちゃった。その時はよく分からなかったんですけど、僕がきれちゃったとき、自分が言ったという感覚がなかったんですよ。後になって考えると、墓地にしばらくいたことで、彼らが私の中に乗り移ってしまったんじゃないかなぁと。
 実はマルケルも沖縄で似たような体験があったんじゃないかな、と思います。マルケルは私に「沖縄でとても奇妙な体験をした」とメールしましたが、結局彼はインタビューには答えないという姿勢を貫き、その体験をどこにも話していません。
 もしかしたら森村さんもそういった体験をされてる方なんじゃないかな、と(笑)。森村さん、何かになるときに、その人の中に入っている魂を模倣する、という話をされてましたね。

生と死が入り混じる世界

森村まぁあの、困ったな(笑)。今日は一水会の鈴木邦男さんも来られています。その前でこういう話をするのは恥ずかしいんですが。以前に私、三島由紀夫の作品を作りました。

渡辺はい、市ヶ谷での三島の自決直前の檄文を読んで。

森村そうそう。そのパフォーマンスは僕いままでに3回しかやってないんですね。一度は映像作品。一度はその映像作品を含めて展示した展覧会のオープニング。もう一回が松岡正剛さんに頼まれて築地本願寺の御堂の前でやったんです。鈴木さんもそのとき来て下さってた。
 築地本願寺って、三島由紀夫のお葬式をやったところなんですよ。そこで僕がパフォーマンスをやるというので、朝からほんと調子悪かったんですよ。だいじょうぶかなぁ、なんて思ってね。そしたら松岡正剛さんは「森村さん今日はいいハラキリ日ですなあ、なんて」(笑)。自分は大きい手術で腹を切った直後だったのに、豪快な人だなぁ、と思いました。
 パフォーマンスが終わって、いろいろな方と話したんですが、高橋睦郎さんという詩人の方がいた。三島さんとも親交があった方ですが、その方が僕に言うんです。「今日のなかなかよかったね、でも森村さんのやってたの、三島というより森田だなぁ」と。

渡辺森田必勝ですね。

森村高橋さんが言うには「自分は三島のやったことで森田を道連れにしたことだけはひっかかっているんだ」と。そして「きみは森田だねぇ」なんていうんです(笑)。それは、気をつけなさいっていう話だと思うんですね。ひきずられるんです。楯の会っていうのはみんな同じ制服を着るんです。その中で魂が、自分の中にある魂、彼の中にある魂、というような状況にならないところにひきずりこまれるんです。そういうものがあるんです。
 あと、これはお話しするのをためらわれるような話ではあるんだけど、ちょうどそのとき、山口小夜子さんも来てくださっていた。山口さんとは一緒に往復書簡をする、という企画があったんですが、僕が手紙を書いて送っても、来るべき返事が来なかった。亡くなったんですね。山口さんは、三島の「英霊の聲」をやって、すぐ亡くなった。それがお別れ会がちょうど築地本願寺でね。
 僕は死ななかった。高橋さんはきみは森田だ、なんていうしね、その場で起こることすべて、生と死が混じり合ったような世界があった。そういう体験をしましたけれど。
 渡辺さんのことばでいうと、自分の中に収まっている魂、それがちょっと揺らぐ、というか。そういうことがだれの体験の中にもあると思いますよね。

渡辺私は森村さんに三島由紀夫の作品がきっかけで初めてコンタクトしたんです。三島の写真作品をスイスのアートバーゼルで見たときに「うわぁ、森村さん、三島やったんだ」という驚きがあって。スタッフさんに声をかけたら「渡辺さん聞いてください、これが三島由紀夫だと分かった人がこれだけのオーディエンスがいて何人いたと思います?」と言われた。私が「100人位はいるんじゃないですか」って言ったら、「1人か2人です」と。そのときに、いわゆる日本のナショナルヒストリーって西洋と全く接続してないな、って痛感したんです。
 三保の松原をおそらく一番最近で、芸術作品として扱ったのは三島由紀夫の「豊穣の海」と、その直後に手塚治虫の書いた「火の鳥」羽衣編だと思っています。今回映画で三保の松原を描くにも、それを相当意識していたんですけど。
 三島の死が芸術の題材としてタブー化したときに、遠藤賢司が「カレーライス」という三島の割腹自殺に触れた曲をつくりましたね。「ばかだな、ばかだな、ついでに自分の手も切って/僕は寝転んでテレビを見ている/誰かがお腹を切っちゃったって、とっても痛いだろうにね/カレーライス」って。

 カレーライスといえば、山口小夜子さんと私、一度だけお会いしたことあるんです。六本木のスーパーデラックスでした。そのとき私は25歳で、初めて大きな展覧会を準備しているときで、いろんな人が名刺交換をしに来たんです。カレーを買っていたのを食べるタイミングがなくて、椅子の上にカレーを置いておくしかなかった。それでそこに座ろうとする人がいたら「すみません、ここにカレーあります!」って謝ってたんです。そしたら「暗い中で椅子の上にカレー置いちゃだめよ」っていう人がいた。そしてちょうどパフォーマンスアートみたいに、私のカレーを両手で持って、椅子の隣でずっと立って待ってくれた。そしたら小崎哲哉さんが、その人が山口小夜子さんだよって教えてくれたんです(笑)。

国民国家を超えて

森村ところでひとつ聞いていい? 僕も関わった、ニューヨークや沖縄で行われた渡辺さんがキュレーションした憲法9条をテーマにした展覧会「Into the Atomic Sunshine - アトミックサンシャインの中へ」がありましたね。今回の映画との関連はありますか?

渡辺非常に強くつながっています。私は国民国家をテーマに展覧会を作ってきました。国民国家って何かというと、江戸から明治になったときに、日本国民を日本国憲法が規定するというかたちで日本国というのができた。わかりやすくフランスとドイツの例でいうと、ドイツで何か悪いことをする人が出てくると、ドイツの警察が捕まえて裁判して刑務所に入れましょう、ということになっていますね。フランスとドイツの間でもめごとがあったら戦争で解決しましょうと。それがウエストファリア体制という近代国民国家の理念ですね。
 それはおかしいんじゃないか。まず、日本人というフィクションを文章によって規定することなんてできないんじゃないか、と思いました。
 日本の場合は、日本国の規定をアメリカがとりあえずしていて、日本がそれを認めてというかたちでした。そこに他者の介在があり、あなたの国と戦争をしません、という戦争の放棄が自己規定になっている、というのが非常におもしろいと思っています。
 山田耕筰の「この道」という歌が最後に作中に出てきました。山田は東京芸大の教授をしていましたが、そこでお雇い外国人として雇ったのがレオ・シロタというオーストリア・ユダヤ人のピアニストでした。その娘さんが日本国憲法第24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんです。彼らはシベリア横断鉄道を渡って、横浜港から入って、東京に来た。戦時中はアメリカで、戦後ベアテさんはGHQの通訳として帰ってきて、日本国憲法を書いた。私はキュレーターとして、同じくニューヨークでキュレーターをしていたベアテさんに会いました。当時ベアテさんは9条の憲法の資料を私に残そうと本当に必死だったんです。
 旅を終えて帰ってきて、鈴木邦男さんが私と対談してくれました。その対談の後に鈴木さんとカラオケに行きまして。そこに来ていたソプラノシンガーの東京芸大の女の子に、鈴木さんが「君が代歌ってよ」って言って。「き〜み〜が〜」って彼女がカラオケで歌い始めた時に、凄いシンガーだなって思いました。それで、直感的に彼女に「この道」を歌ってほしいっていったんです。
 さらに、私がいま博士論文を書いているベルリン芸術大学が山田耕筰の母校なんです。全部がつながって、最後にあの曲をどうしても使いたかった。

森村もう一ついいでしょうか。この映画の「旅」ですが、実際的にフィジカルに移動をして発見するという体験もあるでしょうが、もうひとつは精神的なものー月並みなことばでいうと心の旅、魂の旅っていうことだと思うのです。いろんなところに行ってまた戻ってきてというふうに、魂が旅をしていく。
 かつて1960年代とか70年代には、日本人が日本から出発してインドに行くとか、日本発でいろんなところに旅をするパターンが多かった気がするんですよ。渡辺さんの映画はコースが逆なんですね。ヨーロッパから渡辺さんが生まれた静岡に戻るっていうコース。これがおもしろくって、どういうことか聞いてみたいんだけど。

渡辺残念ながら、時間が来てしまいました。そのことについては、ぜひまた次の機会にお話できたらうれしいです。森村さん、ありがとうございました。

テープ起こし:大山景子 / 写真:杉山雅哉

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