関連イベント:映画上映会
クリス・マルケル監督「Level Five」
映画紹介 | 渡辺真也 |
---|---|
開催日時 |
2009年5月16日(土) 13:30開場 14:00開演
※先着200名様までご入場頂けます。
※ご入場には「アトミックサンシャインin沖縄」展覧会チケット(または半券)が必要となります。 |
会場 | 沖縄県立博物館・美術館 講堂 |
お問い合わせ |
沖縄県立博物館・美術館 〒900-0006 沖縄県那覇市おもろまち3丁目1番1号 Tel:098-941-8200 http://www.museums.pref.okinawa.jp |
映画「レベル5」紹介文(山形国際映画祭ホームページより引用)
「Level Five」
監督・撮影:クリス・マルケル
音楽:ミシェル・クラスナ
出演:カトリーヌ・ベルコジャ、大島渚ほか
製作:アナトール・ドーマン、フランソワーズ・ウィドフ
製作会社:レ・フィルム・ド・ラストロフォル、アルゴス・フィルム
フランス/1996/フランス語 (イタリア語版字幕DVDによる上映)日本語音声付 106分
沖縄戦の記憶の分有をテーマにした、フィクションを交えたドキュメンタリー。ローラは亡き夫が残したコンピュータプログラムの中で最も難易度の高い「レベ ル5」のゲームを解く。渡嘉敷島の集団自決を体験した金城重明牧師の証言やサイパン島の岬から身を投げる記録フィルム、そして30年間も上映が禁止された ジョン・ヒューストン監督の『そこに光を』の中の沖縄戦で記憶を消失した兵士の映像などがモニター上で開封される。
クリス・マルケル(Chris Marker)
1921 年生まれ。戦時中は反独レジスタンス活動に身を投ずる。1950年前後からドキュメンタリー映画に関わり、アラン・レネとの共同監督『彫像もまた死 す』(1953)や、『北京の日曜日』(1956)などで頭角を現す。全編スチール写真で構成したSF短編『ラ・ジュテ』(1962−64)はカルト的傑 作に。旅する映画作家として知られ、日本を題材にした作品も『不思議なクミコ』(1964)『サン・ソレイユ』(1982)『AK』(1985)、そして 本作と多数。また近年では、『アレクサンドルの墓〜最後のボルシェヴィキ』などビデオ作品も多数あり、本作も撮影は主にビデオである。コンピューター・メ ディアやテレビゲームにも強い関心があり、映画百年を記念するマルチメディア・インスタレーション『Silent Movie』は 1995年以来米国各地を巡回中。最新作は人間と世界それぞれの“記憶”をテーマにしたCD-ROM 『Immemory』(1997)で、パリ、ポンピドゥー・センターで展示されている。
- 監督のことば -
(『レヴェル5』プレス、ドロレス・ウォルフィッシュとのインタビューより構成)
第二次世界大戦についてのCD−ROMが最近よく話題になる。その中で沖縄をひいてみよう。「10万人の死者、多数の民間人を含む…」これは二重の誤り だ。日本側の軍の死者は確かに10万だった。だが民間人は沖縄人たち、別個の民族で、自分たちの歴史と自分たちの文化を持ち、最初は中国、ついで日本に併 合された人々。沖縄人の死者は15万人、その人口の3分の1と推定されている―取るに足らない数?!この死者の大部分が集団自決だった。降伏してはならな いと洗脳されていたのだ。これは他に例をみない、第二次大戦のなかでもっとも狂気にみち、無残な実話だが、歴史には素通りされ、我々の集合的意識からは抹 消されている、だから私は再び光を当てようと思ったのだ。
テレビの存在は大きな違いになった。『レベル5』の沖縄の部分は目撃証言を基にしている。これをいわゆる「ドキュメンタリー」の中に想像して欲しい―普通 にテレビを見る―日の中へ、ボスニアのある個人の悲劇や、ホロコーストの生き残りの物語と一緒に放り込まれたとして。平均的なテレビ視聴者はこのような苦 しみの証言をどれだけ連続して受け止めながら、なおかつそれぞれに固有の感覚を見失わないでいられるだろうか?別の何かが必要だった。
答えはテレビゲーム、コンピューター・グラフィックス、それに女―私のお気に入りの白昼夢だ。私は自分の手の内にあるものだけを使う。
日本の撮影部分を除けば、この映画はデュエットとして、二人だけで、縦横6×10フィートの部屋の中だけで、撮影隊も、技術的補佐もなしで作った。
我が同志アストリュックの主張したペンとしての映画カメラは、彼の時代には比喩でしかなかった。だが我々はその手段を持っている(それもまったく新しいものなのだ)―親密で、孤独な映画作りのために。自分自身と向き合う映画を作るためのプロセス。